M&Aの基本合意を交わした後、最終契約を結ぶ前の段階で必ず行われるのが「デューデリジェンス(DD)」です。
これは、買い手側が税理士や社会保険労務士などの専門家を伴い、売り手塾の経営実態や帳簿を細かく調査する実務を指します。
「帳簿や契約書をすべてひっくり返されて、何か問題が見つかったらどうしよう」と、M&Aのプロセスの中でオーナー様が最も緊張を強いられる局面ですが、過度に恐れる必要はありません。
買い手側の専門家が何を確認しに来るのか、その「軸」をあらかじめ理解して書類を揃えておけば、トラブルなくスムーズに通過することができます。
今回はアドバイザーの吉田が、塾の買収監査(DD)で買い手がチェックする具体的なポイントと、売り手オーナーが用意すべき事前の準備について詳しく解説します。
【財務・税務の軸】収支の透明性と「過去3年分」の税務申告
財務・税務の調査で買い手が最も確認したいのは、「融資の審査にそのまま通るような、クリーンな帳簿であるか」と「隠れた税金リスクがないか」です。
- 月謝や講習費の入金確認: 生徒管理システムやエクセル上の売上データと、実際の銀行口座への入金履歴(通帳)が1件ずつ正しく一致しているかを突合されます。
特に、地域密着型の塾でよく見られる「月謝の手渡し」を行っている場合は注意が必要です。
手渡し分の領収書の控えや、受領簿が正確に残っているかどうかが厳しく見られます。
データと通帳の数字がズレていると、「どんぶり勘定の塾なのではないか」と不信感を持たれる原因になります。
- 税務申告の妥当性と私的経費: 過去3年分の確定申告書や決算書、勘定科目内訳書をくまなくチェックされます。
個人塾のオーナー様に多いのが、個人の生活費(家族での飲食費、私用でも使う車両費、自宅兼教室の光熱費など)をどこまで塾の経費に算入しているかという点です。
買い手はこれらを「本来の塾の経費」と「オーナー個人のプライベートな支出」に仕分け直し、塾が本来生み出している「真の利益」を再計算します。
もし税務上の修正申告が必要になるような重大な不備(売上の計上漏れなど)が見つかると、譲渡価格の大きな減額を求められたり、最悪の場合は買い手側の銀行融資がストップして破談になったりするため、気になる経費は最初の査定の段階からアドバイザーに開示して整理しておくことが大切です。
【労務の軸】未払い残業代リスクと「アルバイトの管理体制」
学習塾のDDにおいて、買い手が最も神経質になり、時間をかけて調査するのが労務環境です。特に個人や中小企業の買い手は、引き継ぎ後にスタッフから訴えられるような労働トラブルを極めて恐れます。
- タイムカードと給与明細の突合(コマ間残業): 出退勤の記録と、実際に支払われている給与の額が完全に一致しているかを確認されます。
ここで塾業界特有の問題として厳しくチェックされるのが「授業の前後15分〜30分の準備・片付け時間(コマ間)」や「授業後の見送り、日報作成の時間」です。これらが「授業外労働」として適切にカウントされ、時給が支払われているかが見られます。
「授業原稿の作成や採点は自宅でやってもらっている」というケースも、買い手からは「未払い残業代が発生するリスク」とみなされます。
- コマ給の算定根拠と深夜手当: 授業1コマに対して「1コマ〇〇円」というコマ給を支給している場合、その金額を通算の労働時間で割ったときに、地域の「最低賃金法」をクリアしているかどうかが計算されます。
また、高校生指導などで夜22時以降に及ぶ授業がある場合、22時以降の労働に対して25%増しの「深夜労働手当」が正しく加算されているかも精査されます。
これらの労務データに曖昧な点があると、買い手は「買収後に過去分の残業代を一斉請求されるリスク(簿外債務)」を想定し、そのリスク分を売却価格から差し引こうとします。勤怠管理に不安がある場合は、DDが始まる前に現状のズレを明確にし、アドバイザーと対策を練っておく必要があります。
【契約関係の軸:物件】教室の存続を左右する「テナントの賃貸借契約」
どれだけ生徒が集まり、業績が良い教室であっても、M&Aの成立後にその場所で運営を続けられなければ意味がありません。そのため、教室の貸主と結んでいる物件契約書は、非常に重要な調査対象となります。
- 名義変更(賃貸権の譲渡)の条件と承諾料: 契約書内に「借主の名義を変更する場合、家主の書面による承諾が必要」「名義変更時は賃料の〇ヶ月分の承諾料(名義書換料)を支払う」「重大な組織変更を行う場合、貸主へ事前承諾が必要」といった文言がないかを確認されます。
また、塾そのものを引継ぐ「事業譲渡」のスキームの場合、家主側からは「新規契約」とされることがほとんどで、保証金の入直し等の物件取得費が発生します。
最悪の場合は契約更新を拒否されたりするリスクがないかを精査します。
- 原状回復義務(スケルトン戻し)の範囲: 物件を退去する際、どこまで元の状態に戻さなければならないのかという義務の範囲です。
床や壁、個別指導用の間仕切りブースなどをすべて解体してスケルトンに戻す必要がある場合、将来的な撤退コストとして数百万円の解体費用がかかります。
買い手は、この将来的な負担リスクが契約書上どう明記されているかを確認しています。
【契約関係の軸:雇用】講師やスタッフとの「雇用契約書の有無」
以前スタッフの雇用継続や処遇の守り方について解説しましたが、買い手はその前提として「現在の雇用関係が法的に正しく結ばれているか」を、すべて書類の有無で確認します。
- 雇用契約書(労働条件通知書)の回収率: 正社員はもちろんのこと、学生アルバイト講師や非常勤のスタッフ一人一人と、最新の「雇用契約書」を交わしているかが見られます。
「昔からうちの塾を支えてくれている卒業生だから」「学生のアルバイトだから」という理由で、書面を交わさず口約束のまま働いてもらっている状態は、買い手にとって最大の不安要素になります。
DDの場では「スタッフ全員分の雇用契約書のコピー」の提出を求められるのが一般的です。
- 労働条件の統一性と一覧化: 講師によって「交通費の支給上限」や「授業以外の事務作業の時給」「ミーティング代の有無」などがバラバラになっていないか、その整合性が見られます。
引き継ぎ後の現場の混乱や不満を防ぐため、現行の契約書に記載された個別の労働条件を「一覧表」としてあらかじめ整理しておくと、買い手の信頼感が一気に高まり、DDの時間を大幅に短縮できます。
DDの準備とは、自塾の「健康診断書」を整えること
DDは、買い手側から「減点材料を探されるテスト」のように感じられるため、後ろ向きな気持ちになってしまうオーナー様も少なくありません。
しかし、その本質は異なります。買い手トップが自らの大切な資金を投じるにあたり、「事前にリスクの大きさを正しく把握し、納得して判を押すための確認作業」なのです。
M&Aの現場で最も避けるべきは、DDの最中に買い手側から指摘されて初めて「言われてみれば、そんな未払いがあったかもしれない」「あの講師の契約書が見当たらない」と、後出しでリスクが発覚することです。
これは金額の減額だけでなく、信頼関係の崩壊による破談を招きます。
事前にアドバイザーと共に財務・労務・契約書をチェックし、仮にマイナス面や不備があっても、トップ面談の段階で「ここにこういう課題がありますが、現在の対策はこうです」と最初に開示できていれば、DDが原因で交渉が頓挫することはほとんどありません。
あなたの塾が地域で築いてきた価値を正当に評価してもらい、スムーズな最終成約へ進むために、まずは足元の書類整理から一緒に始めていきましょう。
この記事の著者
M&Aアドバイザー 吉田諭
首都大学東京都市教養学部機械工コース(東京都立大学 システムデザイン学部 機械システム工学科)卒業後、大手教育系企業、建材メーカーを経て、株式会社インフィニティライフに参画。学習塾M&A事業のアドバイザーとして、80件以上の学習塾案件を支援、30件程度を成約に導いた。
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