「自分が塾を譲った後、これまで支えてくれた講師やスタッフたちはどうなるのだろうか」
「新しいオーナーに代わった途端、給与を下げられたり、不当に解雇されたりしないだろうか」
M&Aを検討する経営者様にとって、生徒の未来と同じくらい、あるいはそれ以上に重要視されることが「残される社員や講師の処遇」です。
塾は「人」が最大の資産だからこそ、スタッフの安心を守ることは、譲渡後の塾の成長にとっても最優先事項となります。
今回はアドバイザーの吉田が、塾M&Aにおける雇用の引き継ぎの仕組みと、大切な仲間の処遇をしっかりと維持するための5つのポイントについて解説します。
目次
まず実務的な前提として、M&Aの手法によって従業員の契約がどのように買い手へ引き継がれるかは異なります。
M&Aにおける引き継ぎの2パターンを正しく理解しておきましょう。
塾を法人化しており、その株式を譲渡するケースです。
この場合、塾という「会社」のオーナーが代わるだけなので、従業員と会社が結んでいる雇用契約はそのまま100%買い手企業に自動承継されます。
原則として、譲渡を理由に即座に給与を下げたり、解雇したりすることは法的にできません。
個人事業主経営の塾や、法人の一部校舎のみを譲渡するケースです。
この場合は、雇用契約が個人に紐づいている状況や譲渡対象ではない法人に紐づいている状況のため、買い手企業と従業員との間で雇用契約を結び直す形になります。
「再契約なら、条件を悪くされてしまうのではないか」と不安になるかもしれませんが、実務上は現状の雇用条件を維持することを譲渡契約の前提条件として交渉を進めるのが一般的です。
この2パターンがほとんどのため、これまでのM&Aで従業員の方々の雇用環境が大きく変わることはあまり多くないというのが実情ではあります。
買い手に対して、言葉だけで「スタッフを大切にしてほしい」と伝えることは、必ずしも実務的な抑止力になるとは限りません。
譲渡後の状況変化によっては買い手もシビアな判断をせざるを得なくなる可能性は0ではありません。
それに対して契約書という法的な枠組みの中で、明確な契約を交わすことで雇用条件を維持するという選択肢もあります。
具体的には、M&Aの最終契約書の中に、「譲渡後、少なくとも〇年間は、現在の雇用条件を維持し、不利益な変更を行わない」という内容の条項を明記することです。
一般的には「1〜2年間」の維持を条件とすることが多く、これにより買い手による急激な処遇の変更を防ぎます。
従業員が新しいオーナーの運営方針に慣れるための猶予期間を確保することは、オーナー様が果たせる重要な役割の一つです。
塾の運営を支えているのは、従業員の方々は雇用契約だけではなく、オーナー様との信頼関係もあり日々指導に励んでいらっしゃいます。
そして買い手にとっても生徒と直接信頼関係を結んでいる講師たちは重要な資産であり、譲渡対象です。
しかし、彼らはオーナー様との信頼関係ゆえに「オーナーが変わるなら、別の場所で働こう」と、心理的な理由で離職してしまうこともあります。
こういった買い手側に要因のない離職は全力で回避しなければならず、契約書にも「職業選択の自由の範囲で、売り手は従業員が継続して勤務するよう最大限努力、協力すること」を記載すること基本となっております。
最大限の努力、協力と一口にいってもなかなか具体的な動きが思い浮かばないかもしれません。
実際にこれまでうまく引き継ぎを行ってきたオーナー様は、買い手と従業員の顔合わせに同席することや、先にオーナー様から従業員に説明する機会を設けるなど、離職理由にもなりうる信頼関係をうまく使って引継ぎを行っておりました。
買い手側も、一から講師を採用・育成するコストを考えれば、今の講師陣にそのまま残ってもらう方が遥かにメリットがあります。
また、雇用条件だけでなく、「シフトの組み方」や「試験期間中の配慮」など、これまであなたが大切にしてきた現場の細かなルールを買い手に引き継ぐことも、一斉離職を防ぐ防波堤となります。
いい意味での変わらなさを設けることが離職リスクを低減することに繋がるのです。
M&Aが成立した後、現場のスタッフが最も不安に思うのは「新しいオーナーは、自分の頑張りや人柄を正しく見てくれるだろうか」という点です。
データ上の役職や勤続年数だけでは、その人の本当の価値は伝わりません。
そこで、売り手オーナーとして一歩踏み込んだ引き継ぎを行いましょう。
書面や面談を通じて、「〇〇先生は目立つタイプではないが、不登校気味の生徒への寄り添いが非常に上手で、保護者からの信頼が厚い」「〇〇さんは事務処理が正確で、教室のオペレーションの要になっている」といった、一人ひとりの持ち味や貢献度を新オーナーへ丁寧に伝えます。
これを行うことで、新しいオーナーもスタッフへの接し方に迷いがなくなり、スタッフ側も「自分をリスペクトして迎えてくれた」と感じ、譲渡後も安心して力を発揮できるようになります。
こういった情報は買い手からも非常に需要があります。
買い手もできるだけ早く従業員と信頼関係を結びたいと願っており、よりよい教室作りに力を注いでいます。
M&Aの性質上、数字に関する質問や契約に関する打合せが多くなりがちですが、契約がまとまり、譲渡が確定すれば買い手もビジネスマン以上に教育者なのです。
スタッフへの説明の段階で、オーナー様が最も伝えるべき点は、塾を手放すという申し訳なさではなく、「このM&Aがスタッフの未来にとってどれだけプラスになるか」を前向きに伝えることです。
買い手企業に資本力や強固な組織基盤がある場合、M&Aはスタッフにとってむしろ好機となります。
「みんなのこれまでの頑張りを正当に評価し、さらに広いステージを用意してくれる会社だからこそ、私はこのバトンを渡す決断をした」。
この想いをオーナー様自身の言葉で伝えることで、スタッフは「見捨てられた」のではなく「未来を切り開いてもらった」と受け止めることができるようになります。
よりよい雇用環境となることは正社員だけでなく、アルバイトの方々にとってもメリットがあります。
組織コントロールに慣れている管理者であればシフトの相談がしやすくなったり、業務以外の進路の悩みも幅広く対応できるかもしれません。
これまでになかったリソースを得ることを従業員に正しく伝えることで、よりスムーズな引継ぎを実現させましょう。
講師やスタッフの処遇を買い手に守らせるためには、現在の雇用契約書や給与体系、勤怠データが正しく整理されていることが大前提です。
可視化されていない条件のままでは、買い手も引き継ぎようがないからです。
実際にあった例として、基本給+成果給で社員を雇用していた塾が成果給の内容を明文化していなかったために、従業員の再雇用時に買い手側は自社のインセティブ内容を提示せざるを得なかったケースもあります。
幸い、大きくなズレが提示内容になかったため、無事再雇用となりましたが、このタイミングで社員が再雇用にうなずなければ買い手は非常に大きな損失を受けかねない状況となっていたでしょう。
「うちの講師たちの条件をそのまま引き継いでもらえるだろうか」
「スタッフに動揺を与えないよう、どのように交渉を進めるべきか」
そのような不安や疑問を悪い意味で実現しないよう、現状の雇用条件の明文化や、従業員との認識の擦り合わせは事前に行っておきましょう。
「私の教室はしっかりと従業員とコンセンサスが取れているだろうか」そんな疑問でも構いませんのでいつでもご相談ください。
あなたがこれまで共に汗を流してきた大切な仲間たちが、譲渡後も安心して、笑顔で子どもたちと向き合えるような最高のバトンタッチを、実務と交渉の両面からサポートさせていただきます。
この記事の著者

M&Aアドバイザー 吉田諭
首都大学東京都市教養学部機械工コース(東京都立大学 システムデザイン学部 機械システム工学科)卒業後、大手教育系企業、建材メーカーを経て、株式会社インフィニティライフに参画。学習塾M&A事業のアドバイザーとして、80件以上の学習塾案件を支援、30件程度を成約に導いた。
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